2013年5月4日土曜日

心の垣根

昨日は「ボランティアって何だ」というのを考えさせられる機会がいろいろありました。

先に断わっておくと、私のいわゆる「ボランティア観」は相当ほかの方々とは違っていると思います。
なんでも斜め後ろくらいから、言われたことを再検証するいやなやつです。

今日の話題はかなり個人的なつぶやきなので、
いやだなあとか、なんだこいつ、と思った方は適当に切り上げてください。


で、本題。
なんでわざわざ「ボランティア」という言葉で人の心や行動を区切る必要があるのだろう、
というのが、昨日改めて感じたこと。

お金をもらおうと、そうでなかろうと、小さなことでも大きなことでも
人の役に立って、感謝されたい、という気持ちがおそらく
私が「社会」と対面するときの大部分の行動の起源です。

なので、それがお金をもらう仕事であることもあれば、
無償の「ボランティア」のこともあるし
自分が知っているお得情報を誰かに教えてあげるとか、
専門的な内容を聞かれたらそれについて調べて教えるとか。。。
私の中ではこれらについて区別する概念を持っていません。

でもとっても小さな人間なので、怠けたくなることも
これは今やりたくないなあということもたくさんあって、
社会から心をそむけると、「人の役に立って・・・」の顔は
奥に引っ込んでしまうこともよくあります。

「社会」との付き合い方をどうするか、という問題なので、
家族と接するときはまた別の顔になります。

日本的概念に押し当てて考えると、「情けは人のためならず」
っていうのが一番近いのかなあ。
※人に情けをかけるのは「人のため」ではなくて
「自分の徳」を積むのが目的で
徳の多いほど極楽浄土に近づくという日本仏教的発想

なので、「ボランティア」の部分だけを区切ろうとすると、
とても心が辛くなります。

0 件のコメント:

コメントを投稿