昨日は「ボランティアって何だ」というのを考えさせられる機会がいろいろありました。
先に断わっておくと、私のいわゆる「ボランティア観」は相当ほかの方々とは違っていると思います。
なんでも斜め後ろくらいから、言われたことを再検証するいやなやつです。
今日の話題はかなり個人的なつぶやきなので、
いやだなあとか、なんだこいつ、と思った方は適当に切り上げてください。
で、本題。
なんでわざわざ「ボランティア」という言葉で人の心や行動を区切る必要があるのだろう、
というのが、昨日改めて感じたこと。
お金をもらおうと、そうでなかろうと、小さなことでも大きなことでも
人の役に立って、感謝されたい、という気持ちがおそらく
私が「社会」と対面するときの大部分の行動の起源です。
なので、それがお金をもらう仕事であることもあれば、
無償の「ボランティア」のこともあるし
自分が知っているお得情報を誰かに教えてあげるとか、
専門的な内容を聞かれたらそれについて調べて教えるとか。。。
私の中ではこれらについて区別する概念を持っていません。
でもとっても小さな人間なので、怠けたくなることも
これは今やりたくないなあということもたくさんあって、
社会から心をそむけると、「人の役に立って・・・」の顔は
奥に引っ込んでしまうこともよくあります。
「社会」との付き合い方をどうするか、という問題なので、
家族と接するときはまた別の顔になります。
日本的概念に押し当てて考えると、「情けは人のためならず」
っていうのが一番近いのかなあ。
※人に情けをかけるのは「人のため」ではなくて
「自分の徳」を積むのが目的で
徳の多いほど極楽浄土に近づくという日本仏教的発想
なので、「ボランティア」の部分だけを区切ろうとすると、
とても心が辛くなります。
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